東京大学HMC企画研究「学術資産としての東京大学」 シンポジウム「本郷キャンパスの形成とそれを語る学術資産」
- 日時:2018年10月28日(日)13:30 - 17:20
- 場所:東京大学情報学環福武ホール地下2階福武ラーニングシアター
- プログラム:
- 13:30 - 13:40 開会・趣旨説明 鈴木淳(東京大学大学院人文社会科学研究科教授)
- 13:40 - 14:20 講演1 西村幸夫(神戸芸術工科大学教授・東京大学名誉教授)
- 14:20 - 15:00 講演2 藤井恵介(東京藝術大学客員教授・東京大学名誉教授)
- 15:00 - 15:15 休憩
- 15:15 - 15:40 講演3 角田真弓(東京大学大学院工学系研究科技術専門職員)
- 15:40 - 16:05 講演4 木下直之(東京大学大学院人文社会科学研究科教授)
- 16:05 - 16:20 休憩
- 16:20 - 17:20 講演者対談(司会:鈴木淳)
- 17:20 閉会
「本郷」が「赤門」や「安田講堂」を含めたとき、その言葉は地名であることを超えて、東京大学を意味する。この用語法は、大学という学知の共同体が特定の場所と建築の姿をとって具象化することを示している。東京大学の歩みが近現代日本の歴史と軌を一にすることに鑑みれば、その象徴たる本郷キャンパスそのものが本学に蓄積された学術資産であると言ってよいだろう。
本年6月に出版された東京大学キャンパス計画室編『東京大学本郷キャンパス―140年の歴史をたどる』(東京大学出版会)を紐解くならば、本郷キャンパスという学術資産の来し方を俯瞰することができる。
本郷キャンパスは、江戸幕府時代に淵源を発する昌平坂学問所、蕃書調所、種痘所と、さらには明治政府の各省庁所属専門学校が合流し、東京大学という一つの組織が生まれた場であった。当初は各種学校の寄せ集めであった当キャンパスも、明治29年ごろ「仮正門」(現在の正門)が設置されたことを機に、一体感のある近代的キャンパスへと姿を変えた。さらに大正12年の関東大震災罹災後には、内田祥三(営繕課長、後に東大総長)らによって、ゴチック様式スクラッチタイル張りの空間として再建された。この「内田ゴシック」路線は、戦後の高度経済成長期に端を発したキャンパス狭隘化問題と産業構造の変化を受けた工学部系増床問題を受けて見直され、本郷キャンパスの再開発が始まることとなった。
まさに同書序文に言うように、「本郷キャンパスの成り立ちと計画の歴史は、東京大学が辿ってきた発展の歴史でもあり、また、明治維新以降にわが国の大学制度が整えられていく過程とともに辿ってきた日本の学問の府の歴史でもある。」(p.i)
一方で同書は、本郷キャンパスの学術資産としての価値は、常に新たな観点から発見されるものであることを教えてくれる。東京大学の器たる本郷キャンパスは、本学の組織の変遷に応じてその形を変えてきた。その過程において、価値を見出されて保全されたものもあれば、破棄されたものもある。
たとえば、1988年に本郷キャンパス正門扉が改修された際、旧門扉は一旦廃棄されるもゴミ捨て場から回収され現在も保管されているという。その一方で旧加賀藩邸時代の最後の長屋は、1934年の家屋燃焼実験に使用され灰燼に帰したという。学術という無形のものを扱う大学において有形のキャンパスがもつ価値は、その価値を見出しうる眼に依存するのかもしれない。
そこで今回のシンポジウムでは、本郷キャンパス再開発の中心を担ったキャンパス計画室の活動に焦点を絞り、再開発の過程で何にいかなる価値が見出されたか、そのうち何を保全し得、何を保全し得なかったかを考察する。まずキャンパス計画室のメンバーであった西村幸夫先生(神戸芸術工科大学教授)・藤井恵介先生(東京芸術大学客員教授)が、その文化遺産に対する識見をもとに、建築・都市計画専門家の視点からキャンパスの再開発と建築物等の保全が進んだ過程について概観する。さらに角田真弓(東京大学大学院工学系研究科技術専門職員)と木下直之(人文社会系研究科教授)が文化資源学の観点から、本学キャンパスが持つ学術資産的価値について論じる。そののち、鈴木淳(人文社会系研究科教授)の司会のもと、日本近代史の観点を絡めつつ三人の発表者の鼎談を行う。
- 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター企画研究「学術資産としての東京大学」
- 協力:東京大学出版会
- 問合先:
東京大学ヒューマニティーズセンター事務局 - E-mail:humanitiescenter.utokyo[at]gmail.com