お知らせ

レポート:キックオフイベント「吉村栄吉の時代と人々」

カテゴリ: リエゾンプロジェクト , 吉村栄吉の時代と人々

2025年5月2日午後、「文学部の扉」という場所にて、リエゾンプロジェクト「吉村栄吉の時代と人々」のキックオフイベントを開催しました。

「文学部の扉」とは、東京大学本郷キャンパス法文2号館、安田講堂側の広場に面した扉を持つ、小さな展示・交流スペースの名称です。これは単なる建物の入り口ではなく、空間そのものが「文学部の扉」として、2025年3月に数十年ぶりに開かれました。この貴重な空間を、本イベントの場として使用することができたのは、まさに幸いでした。

当日は、東京でも稀に見る大雨となり、広場に面した扉を開け放つことは叶いませんでしたが、吉村家のご関係者や研究班の参加者が一堂に会し、豊かなひとときを共有することができました。吉村迂齋と吉村栄吉という二人を軸に、「時代」と「人々」に向き合う時間となりました。

このイベントは、2024年8月に発足したリエゾンプロジェクト「吉村栄吉の時代と人々」の第1回報告会として開催しました。本プロジェクトでは、「詩文班」と「近代班」という二つの研究班を設け、吉村栄吉の活動が、18世紀長崎の漢詩人・吉村迂齋(1749–1805)と、20世紀前半に中国文学研究会を主宰した竹内好(1900–1977)という二つの文脈に接続されることに着目し、それぞれの時代と関係者を掘り下げています。

前半は詩文班による発表でした。※以下、発表者の敬称は略記にて記載します。

最初に齋藤希史は、デジタル・ヒューマニティーズの手法を用いた詩文研究の有効性について紹介しました。吉村迂齋と同時代の人物である大田南畝の詩の検索を例に、国会図書館のデータベースを横断的に活用することで、史料の検索・照合が容易に行えることを示しました。また、注釈を作成するための専用サイトを自ら構築し、共同作業の効率化を図っている点や、「国書データベース」で公開されている古籍画像に注釈を付け、そのデータを抽出・再利用できるツールの活用についても紹介しました。こうした取り組みにより、デジタルの力を借りて18世紀の長崎に生きた詩人たちの知的空間を再構築する可能性が提示されました。

次に李暁玲は、吉村迂齋が活躍した18世紀後半の漢詩世界について紹介しました。この時期の日本漢詩壇は、詩人層の拡大(身分的・地域的な広がり)、詩社の林立、「専門詩家」の登場、さらには詩風の転換(古文辞派から性霊説への移行)など、さまざまな特徴を備えていました。吉村迂齋は、まさにこうした漢詩文が全国的に開花していた時期に活動しており、そのような詩壇の流れの中に身を置いていたと言えます。

続いて田口一郎は、吉村迂齋の七言絶句「貧女」に焦点を当て、秦韜玉(唐)のあの有名な「貧女」や『古詩十九首』などを引用しながら、作品を解読しました。「貧女」を「貧婦」とあえて書き換えた意図や、「繡出鴛鴦復與誰」という句に込められた意味に注目し、日本漢詩人としての文学的工夫を読み取りました。このように、吉村迂齋の作品に対して訓読・訳文・注釈という形での具体的な成果例を提示しました。

後半は近代班による発表でした。

まず鈴木将久は、吉村栄吉が在籍した1930年前後の東京帝国大学支那文学科の状況を紹介しました。塩谷温・竹田復らの教員のもとで、栄吉が「宋代国民文学」を研究テーマに大学院に進んでいたこと、また同時期の学生に増田渉や竹内好がいたことを挙げました。吉村栄吉は、日本において中国現代文学研究が確立していく過程の萌芽に立ち会った存在であり、中国古典の素養を持ちながら現代文学研究へと向かった事例として、再評価の意義を示しました。

つづいて田中雄大は、吉村栄吉の創作活動に注目し、複数の初出雑誌を丹念に調査しました。栄吉の創作は完成度が高く、掲載雑誌の記録からは、当時の創作者・研究者たちの交遊関係も垣間見ることができます。特に『食道楽』1930年3月号に掲載された「漫談『性愛描写と支那人』」に注目し、こうした「通俗的な」言説と、『中国文学月報』に寄稿した「真面目な」言説が、当時は隣り合って存在していたことを指摘しました。そして、吉村栄吉という人物は、自らのうちにその両者を抱え込んでいたと考えられます。当時の中国言説全般における「中国文学研究会」言説の位置づけを探る上で、吉村栄吉の文章は、ひとつの重要な手がかりとなるかもしれません。

最後に祝世潔は、1930年代の『中國文學』月報を通じた中国文学研究会の活動と、吉村栄吉の論考「象の鎖」の解読を報告しました。この論考を通じて、教化に回収される漢学への批判や、中国人という文化的主体を文学を通じて理解しようとする姿勢、さらに中国の古典を文芸作品として、感受性と批評精神をもって読み直すという姿勢が読み取れることを示しました。また、竹内好との比較を通じて、吉村の論調に見られる独自性も明らかにしました。

詩文班と近代班の発表のあいだには、芸術グループから東京藝術大学大学院の仲村浩一が登壇し、人文学の成果を視覚的・芸術的に表現するための構想を紹介しました。吉村プロジェクトの研究成果をもとに、より幅広い層に関心を持ってもらえるよう、「やさしく、わかりやすく」伝えるアウトプットを目指す取り組みです。具体的な方法としては、絵による表現を軸に、視覚的かつ芸術的な手法を検討していくことを挙げました。

オンライン講演の後には、田口一郎と齋藤希史による「貧女」「貧婦」をめぐるさらなる対話が行われました。また、渡邉登紀が長崎文献社の発行する江戸時代の長崎復元地図を持参し、会場で回覧されました。

今回のキックオフイベントでは、吉村栄吉と吉村迂齋という二人の人物に関して、各グループの途中成果が報告されました。ここで得られた視点や対話をもとに、研究班では今後も議論と作業を重ねていく予定です。半年後には、さらに進んだ成果やアウトプットをご報告できる見込みです。どうぞご期待ください。

(祝 世潔)