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レポート〈前編〉:研究会「上海 ―ノスタルジアの表出と文化遺産の創出―」

カテゴリ: アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出 , 協働研究

アジア各都市のノスタルジアをテーマにした協働研究「アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出」の研究会が、7月13・14日に東京・文京区で開催されました。充実の2日間を、プロジェクトに参画する強谷幸平さんがレポート。前後編に分け、〈前編〉では1日目のエクスカーションと研究会、〈後編〉では2日目のオープンセミナー形式で行われたワークショップの模様をお届けします。

企画概要

本研究会は、協働研究「アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出」の一環として2024年7月14日(日)に実施した。今回の研究会は東京大学ヒューマニティーズセンター主催・現代民俗学会共催として松田陽准教授(人文社会系研究科)および菅豊教授(東洋文化研究所)がコーディネーターとなり、復旦大学中文系の鄭土有教授および華東師範大学社会発展学院の徐赣麗教授のご両名をお招きし、19世紀の開国と20世紀の改革・開放を経て劇的な社会・空間的変化を経験した上海において、過ぎ去った時代がどのように懐古・追慕・理想化され、それにより郷愁を核とした文化遺産や人々の新たな社会的・商業的活動がいかに生み出されているかを、同様に近代化の過程で大きく変化してきた東京との比較も意識しつつ議論していただいた。

エクスカーション・研究会(クローズド):谷根千

研究会前日の7月13日(土)には、谷中・根津・千駄木のいわゆる「谷根千」の界隈を歩き、東京都心の下町に対するノスタルジアとその空間的実態について考えるエクスカーションを実施した。谷中・根津・千駄木は台東区と文京区にまたがり、それぞれ独特の歴史や特徴を有するにもかかわらず、現在は一体の地域として広く認識されている。それが1980年代に地域史『谷中・根津・千駄木』を刊行した森まゆみら3人の地元の女性の功績によることも、もはやよく知られる話である。

ただし、これにより谷根千の歴史的アイデンティティが確立された一方で、それを保護する行政的な介入は積極的にはされず、町並みはその後も変化し続けた。谷中を代表する景観としてパンフレットにも採用される「夕焼けだんだん」の頂上から眺めると、かつて富士山が見えたという正面に高層マンションが建ち並び、左手には建築予定の空き地が広がる。谷中銀座商店街に下りてみれば、地元住民の生活を支えてきた魚屋や八百屋と、観光客向けのスイーツや土産物の店が併存している。メディア上で流布する懐かしいイメージと経済活動の場として変化し続ける空間は矛盾しているようでいて、通りは酷暑を物ともせず訪れる若年層や外国人観光客で賑わっている。

谷中銀座商店街の閉店した老舗の魚屋の前にて

その一方で、谷根千には谷中霊園や根津神社といった10年や100年単位でも大きく変わらない風景がある。根津神社には1706年建造の拝殿を始めとする歴史的建造物が建ち並び、庚申塔や道祖神などの町中から撤去された石造物が集められ、池之端にあった森鷗外旧宅も加わるべく現在工事中である。変化の激しい生活空間に対して神社や寺院が地域の歴史を伝える博物館的な機能を実質的に担っているといえよう。また根津神社の前の民家には、かつての遊郭の存在を示す小さな標札がある。近年も遊郭を取り上げた美術展が社会的な論争を呼んだように、文化財としての公的保護やノスタルジアに訴える商品化が容易でない歴史は、このような私的活動によりひっそりと伝えられている。

根津遊郭跡の標札(左上)を前に解説する松田先生

エクスカーションの後は東京大学本郷キャンパスに移動し、クローズドの研究会を実施した。研究会では谷根千を中国の研究者が見て懐かしく思うかという質問からはじまり、メディアに媒介されたノスタルジアと個人的経験に基づくノスタルジアの違い、記憶を客体化しノスタルジアを生み出す主体として中国では政府が一定の役割を有すること、政府のトップダウンの決定があれば建築保存が実現しやすいが、その場合「建物は残っても生活が失われる」ことが多い中国に対して、建築保存は実現しづらい中で「建物は失われても生活は残る」というある種の共同幻想が生きる日本、ノスタルジアの対象を新しくつくり出す中国と復元に違和感を持つ日本の違いといった論点が取り上げられた。(〈後編〉に続く)

(執筆:強谷幸平[人文社会系研究科 博士課程・特任研究員])