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レポート:研究会「韓国の都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出」

カテゴリ: アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出 , 協働研究

企画概要

本研究会は、協働研究「アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出」の一環として2024年2月20日(火)に実施した。協働研究はアジアを対象に空間や場所と関連付けられたノスタルジアを探究するものであり、今回は韓国の都市におけるノスタルジア(韓国語では향수 [郷愁])を主題とした。全北大学から陳名熟(ジン・ミョンスク)先生、亜細亜大学から金賢貞(キム・ヒョンジョン)先生をお招きし、それぞれから全州(チョンジュ)市と群山(グンサン)市の事例を伺い、都市に関連付けられたノスタルジアの表出やその形成過程を議論した。

エクスカーション:赤羽エリアと団地ノスタルジア

研究会の前段では、東京における「団地ノスタルジア」の実態を確かめるべく、赤羽エリアでエクスカーションを行った。レトロブームの追い風に乗って団地生活を記録した写真集が近年発行されるなど、団地ノスタルジアには「古き良き昭和」とも呼べるような、温かい共同体生活の記憶を求める動きが表れている。

赤羽エリアには二つの対照的な団地群がある。一つは、1960年代に建設され、2000年代以降から老朽化に伴って建て替えが進む「赤羽台団地(建て替え後の名称は「ヌーヴェル赤羽台」)」である。新しく作られた建物の壁やベランダには一棟ごとに異なるデザインが施され、集合住宅という画一性の中にも個性を感じさせる。かつての赤羽台団地の姿は今日失われつつあるが、2019年に国の登録有形文化財となった四棟(スターハウス三棟を含む)が当時の姿をとどめている。2023年には、住宅団地の歴史を伝える「URまちとくらしのミュージアム」も敷地内に開館した。一方で、赤羽台団地がつくられた場所には戦前・戦中に陸軍の被服倉庫があったこと、またさらに時代を遡る縄文・弥生・古墳時代の遺跡群が近年出土したことは、看板説明や出土煉瓦を再利用したベンチを通してわずかに伝えられるのみであった。

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建て替えが進む「赤羽台団地」

もう一つの団地群は、1950年代に建設がはじまった通称「桐ケ丘団地」である。こちらは建て替えのペースが赤羽台よりも大幅に遅く、昭和の団地の雰囲気がいまだに色濃く残っている。桐ケ丘団地の中央部には商店街と公園があり、1回100円で回せるガチャガチャやコンクリート製の公園遊具などが現存する。とりわけ商店街は昭和の団地の情景が残っている場所として有名となり、メディアでも取り上げられてきた。

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昭和の団地の雰囲気を残す「桐ヶ丘団地」

それらを見ていると、自分自身は団地生活を経験したことがないのに、人生のどこかにあった集合住宅居住経験や『ドラえもん』で見た風景などが想起されて懐かしく感じられ、まるで観光地にいるかのようにスマホのカメラを押してしまいそうになった。しかし、それは「帝国主義的ノスタルジア」と呼ぶべき情感なのかもしれない。紛れもなく2024年に存在する桐ケ丘団地に対して外部者が懐かしさを覚え、その生活環境が残ってほしいといかにも勝手に願っているからだ。老朽化の進んだ桐ケ丘団地は、今日そこに住む人々にとって単純なノスタルジアの対象ではないはずだ。(参考:東京大学HMC研究成果映像(2022年)「東京ノスタルジアの考察」の第四篇

記憶の選別が働いている様や、経験していない懐かしさが喚起される不可思議さが感じられたエクスカーションであった。

ワークショップ

ワークショップ(対面とオンラインのハイフレックス開催)では、二人の先生方の講演と、それを踏まえたディスカッションを行った。

講演1: 陳名熟先生「全州(チョンジュ)韓屋(ハノク)マウルの観光化過程におけるノスタルジアの具現」

全羅北道全州市に位置する「全州韓屋マウル」(マウル=마을は村の意味)は、韓国を代表する観光地の一つだが、かつては住居地であった。1970年代から1990年代まで続いた韓屋保存政策により、この地域には700軒余りの瓦葺きの在来式家屋が残された。2002年韓日ワールドカップの全州誘致が決定された1997年以後には「伝統文化区域」に指定され、全州市主導の観光開発が進んだ。

陳先生は20年近くの間、韓屋マウルの口述生活史の採録や記録化プロジェクトに携わってきた。本発表では、「共同体ノスタルジア」の形成に、行政のみならず芸術家集団や商人集団など様々な階層が関わってきたことが指摘された。例えば1990年代後半、「茶門(タムン)」という喫茶店を中心に、画家、文人、工芸家などが定期的に音楽、舞踊、武術の文化行事や芸術祭を開催するコミュニティが形成された。これはスラム化・空洞化が深刻であった韓屋マウルの活性化と評価できるが、旧住民の生活経験から断絶して派生した「共同体ノスタルジア」とも言える。他方、韓服レンタル店を始めとする商業資本は、「韓服デー」を企画し観光客を呼び込んだ。「伝統都市韓屋」の物理的景観を背景に、MZ世代(ミレニアル世代とZ世代)が韓服体験を行う状況は、脱歴史化された「伝統的ノスタルジア」の再生産であると言えよう。

全州市が規定した「伝統都市韓屋」は韓国式瓦と木造の柱を使った建築物を指すが、これは植民地期に日本式・洋式・折衷式が建てられたという歴史性を等閑視している点も、発表では指摘された。

講演2: 金賢貞先生「韓国における「近代文化都市」の創出―全羅北道群山(グンサン)市における日本式建築物の観光資源化とノスタルジア―」

群山市は、2016年に市の観光ブランド名を「ハロー、モダン(Hello, Modern)」と決めた。ここで言うモダンは「植民地期」を指し、近代史の痛みを胸に刻みつつ、近代との出会いを明るいイメージで表現する意図が含まれているという。「ハロー、モダン」では、モダンボーイの必需品であった懐中時計をモチーフにし、センチメンタル(感性的)な経験のできるヒーリング旅行がPRされている。ここには、「安全な距離感の確保された過去」としての植民地期のあり方が読み取れる。

2000年代初頭時点で、群山市には植民地期に建てられた日本式建築物が170棟以上残存していた。市による日本式建築物の資源化計画は、「近代文化中心都市造成事業」の名の下に国家予算の補助対象となった。金先生は、群山において従来「敵産家屋」と呼ばれてきた日本式建築物が登録文化財制度の導入により観光資源化されてきた過程と、そこに歴史のイデオロギーとノスタルジーが複雑に絡み合っている点を指摘した。

全州と同様に、群山のノスタルジーを仕掛ける主体は市行政から民間に移りつつある。老朽化した日本式建築物を「より本物らしい」日本式建築物に改築し、ゲストハウスやカフェなどに利用するビジネスが繁盛している。人気のある観光地の一つである「チョウォン写真館」は、映画のセットとして使われた場所であり、写真機、アルバム、モノクロ写真、ソファなどの小道具とともに復元された。しかしこれらのノスタルジックな仕掛けは、植民地期を美化するものとして批判を受けることもあり、その免罪符として抗日イデオロギーが使われている。2015年に開館した群山抗争館はその一例であり、収奪と抵抗という植民地イメージが強化されてきた。

群山市は、観光客によって消費されるローカリティ(地方都市の周縁性)の一例を示す。韓国では植民地期に近代化・産業成長を経験した他都市が同様の観光戦略を打ち出してきているため、群山独自のローカリティを創出し続けられるかどうかが市の課題となっている。

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ディスカッション

ディスカッションはディスカッサントである本田洋先生が質問を出し、2名の講演者が回答する形式で進行した。全州と群山、そして本田先生のフィールドワーク先である南原(ナムウォン)はすべて全羅北道(現在の全北特別自治道)にある。先生は南原を「未発の都市ノスタルジア観光」の地と位置づけ、それと対比して全州と群山でノスタルジアが発現した条件は何だったのかを質問した。そして、旧住民の個人的・経験的ノスタルジアと、観光資源化される集団的ノスタルジアの対比を軸に議論が広がった。

陳先生によると、韓国政府が釜山などの都市で文化政策を推進する流れから全州市は取り残されたため、市民自身が独自の方向性を打ち立てた面が大きいという。帰農・帰村人の事例との対比を問われたところ、外部から来た文化人らは、既存の住民とは持続的な関係を結ばずに空間や文化遺産を活用したため、帰農・帰村人とは異なるとの考えを示された。さらに、歴史性の希薄な商品化が進んだことの要因としては、観光客として参与するのは若い人が多かったためだという。全州市では、全州にいた儒学者たちの歴史を押し出す案もあったが、その年代層に深い伝統や歴史への関心を持ってもらうのは難しかった。ゲストハウスには旧住民は既に住んでいないため、観光客の宿泊や観光は旧住民のストーリーと重ならない状況にある。

群山市については、発表では取り上げられなかった個人的ノスタルジアに話が及んだ。金先生によると、行政が市民のライフヒストリーを収集する事業が進行しており、観光資源の一部になっているという。人間味のあるコミュニティや景観を知ってもらうために、老朽化した箇所も観光客向けにアピールしたら良いのではないかという市民の意見もあったという。さらに、過去のナラティブを観光客が消費しているものの、その内容については、新自由主義の進行、大都市の均質化やグローバル化によって失われたローカリティやアナクロニズムが求められているのではないかという仮説が述べられた。近代は、(日本人にとっては意外かもしれないが)韓国全体でホットなノスタルジアの題材となっているという。その理由は、近代以前は想像できないくらいに遠い過去であるのに対して、近代は三世代遡れば到達でき、現在との連続性が語りやすいためである。群山は近代に関わる場所と情報が豊富である一方、それらを統合して語るようなストーリーが存在していないのではないかという本田先生の指摘に対しては、それは、観光資源化と文化財化が方向性の違うところに位置しているためではないかという仮説が述べられた。

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まとめ

全州や群山には、産業振興や観光振興に起因するノスタルジアが確認できることが明らかになった。これはオーバーツーリズムなど元々の住民との断絶、あるいは緊張関係を生むこともある。また、両都市で植民地期の建築物が評価されるようになったように、近代期の文化財を保存・活用すべく韓国の文化にまつわる政策や風潮が変化してきたことも示された。

ノスタルジアは、記号化された過去や、ファッションとして扱われることもある。失われたことに対する温かみや、自分たちのアイデンティティとして感じられることもあり、かつ現在を批判する有効な材料ともなる。しかし一方で、経済利用や政治利用に繋がり、時にはナショナリズムといった排他的な様相を呈することもある。

松田先生がワークショップ冒頭の趣旨説明で述べていたが、この協働研究のきっかけは、シンガポール出身の学生が日本の団地を見て「自分の地元にあった団地と類似したものを感じる」と指摘したことにある。1965年に成立した「若い」都市国家シンガポールでは人口の8割が集合団地に住んでいるが、その集団的経験に起因するノスタルジアが生まれ、しかもそこと社会的・歴史的背景が大きく異なっているはずの日本の団地ノスタルジアとの間に類似性があるという感覚は不思議であり、かつ興味深い。各都市で集団的ノスタルジアが生まれる過程にみられる共通点と相違点は何だろうか。

今回のワークショップで取り上げた全州や群山では、集団的ノスタルジアに関わる主体や語られるストーリーの複雑性を示していた。全州では、外部から流入した文化人や商業資本は旧住民とのストーリーの共有が希薄であるし、群山を始めとした植民地期に近代化を迎えた韓国の諸都市にとって、近代は懐かしむだけではなく痛みを伴った記憶を想起させる。さらに、金先生の講演で述べられたように、近代の遺物が残っていない、あるいは遺物の歴史的検証が不十分な場合もあり、歴史の空白期間となってきた近代を語りづらいという困難も伴う。今回のワークショップでは、日韓の比較まで議論を広げることは叶わなかったが、近代から現代にかけての歴史的経験の違いがノスタルジアの表出の違いを生んでいるようにも考えられる。

次回は2024年夏に、中国の上海を対象にしたワークショップの実施を予定している。都市ノスタルジアがなぜ人々を引き付けるのか、そして、アジアの都市ノスタルジアに地域的な共通性あるいは差異があるとしたらそれは何なのかについて、さらに議論が深まることが期待される。

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(執筆:安井恵美子[人文社会系研究科 修士課程])