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レポート〈後編〉:研究会「上海 ―ノスタルジアの表出と文化遺産の創出―」

カテゴリ: アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出 , 協働研究

7月13・14日に開催された協働研究「アジアの都市におけるノスタルジアの表出と文化遺産の創出」の研究会レポートの〈後編〉です。オープンセミナー形式で行われた2日目のワークショップの模様をお届けします。プロジェクト参画者ならではの「まとめ」まで、ぜひお読みください!(〈前編〉はこちら)

ワークショップ

講演1:鄭土有(復旦大学中文系)「都市における潜在的ノスタルジアの揺れ動き:『上海故事匯』の活動を中心とした考察」(中国語原題:「城市中潜在乡愁的激荡----以"上海故事汇"活动为中心的考察」)[翻訳・通訳:雷婷]

鄭土有先生の講演

1843年の開港以来、国内外から様々な人が集まる国際的・近代的な都市として発展してきた上海にも過去の農民文化や市民文化に対するノスタルジアは存在し、伝統的な題材を用いてノスタルジアを表象する作品・活動が継続的に展開されている。鄭先生はそのような事例として金山農民画や海派剪紙(切り紙)という有形の作品の制作活動と、上海故事滙(物語会)による無形の口承文芸の創作・発信活動を紹介した。

金山農民画とは、曽金英が刺繍の技法の影響を受けながら描き始めた民間の絵画であり、端午の節句の粽(ちまき)作りのようなかつての上海の農村生活が題材にとられる。この農民画は新たな技法を導入してコンテンポラリーアートとして発展しているが、伝統的な技法と画題の両面から過去の記憶や懐かしい感情を喚起するという特徴が人気の一因となっている。海派剪紙は、かつて上海で日常生活を飾るために用いられていた切り紙を芸術作品へと発展させたものである。現在では上海の弄堂(路地)の風物や外灘の風景を描いた壁面装飾、豫園(中国庭園とそれに隣接する商業施設)の照明装飾など、都市空間を飾る大型作品としても見ることができるが、これらもまた日常から消えた伝統技法を用いて消えた風景を描くことでノスタルジアを喚起している。

無形の物語を作り語る活動にも上海のノスタルジアは表れている。2012年から開始された上海故事滙は、物語の創作と語りという口承文芸の継承と上海の歴史文化の教育を組み合わせたものである。元々は1950年代に政府の宣伝教育の一環として語りの得意な「故事員」が既存の「故事(物語)」を語り聞かせる活動として始まり、上海ではその後新作の物語を創作し語る「新故事活動」が人気を呼んだ。その影響は全国に及び、1980~90年代には上海文芸出版社の『故事会』が1号あたり760万部発行されるなど最高潮に達したが、1990年代に入るとインターネットの普及で衰退した。

上海故事滙では口承文芸を復活させる事業として、上海市群衆芸術館が資金と場所を提供し、上海民間文芸家協会が作品の創作と故事員の手配を行う。故事滙では3~4人の故事員が歴史伝説、民話・昔話、新故事を上海方言で語り、さらに上海方言の朗読や意味を当てるクイズなどを行うことで、上海土着文化の学習に貢献するとともに、若年層の集客を目指している。この故事滙自体が里弄型住宅で隣人と雑談するかつての上海の納涼文化を想起させるものであり、ノスタルジックな表象と感情の喚起を通して自身の住む都市とその生活文化や理念への関心を高める活動が、高度に近代化された上海という都市で継続的に文化を発展させる原動力ともなっているのである。

講演2:徐赣麗(華東師範大学社会発展学院)「景観化と浪漫化:都市空間におけるノスタルジアの醸成」(中国語原題:「景观化和浪漫化:都市空间中的乡愁营造」)[翻訳・通訳:鄔夢茜]

徐赣麗先生の講演

中国で最初かつ最も徹底的に近代化された都市である上海において進められた急速な改造と拡張は、上海の都市ノスタルジアを「都会と田舎」の二元論に留まらない多様な社会集団により構成されるものにした。徐先生はこのような上海の都市ノスタルジアと消費空間との関係を巡る論理を、「CITY MART城市集市-里弄」や「1192弄老上海風情街」などの過去の上海を再現した商業空間を取り上げながら整理した。

徐先生は都市の消費空間におけるノスタルジアが、「景観化」と「浪漫化」という二つの論理によって創造されることを指摘した。景観化とは、空間や環境のイメージを各種テキストやシンボルによって表現することであり、具体的には①古い商品や建築部材などのモノの集中的な提示を通して、記憶の中の日常生活のディテールを再現しようとする「空間復刻(空間再現)」、②単にモノを見せるだけでなく、それをコラージュすることで没入型の空間を作り出す「景観建構(風景の構築)」、③没入型の空間体験がその時代を知る人には時空を超えた感覚を、知らない人には「懐旧」を通じた新鮮さの感覚をもたらす「場景共鳴(シーンの共振)」の3点から構成されている。

浪漫化とは、過去を歴史的事実の再現よりも審美的な再構築の対象とすることである。浪漫化は①痛みを伴う到達不可能な過去がノスタルジアを通じて審美的な欲望の投影されたユートピアへと作り変えられる「痛感過濾(痛みのフィルタリング)」、②植民地文化と物質的繁栄に代表される外国人租界の「老上海」の記憶を懐かしむ一方で、同時代の国家や民族の水準での出来事が隠され、小市民の地区、労働者の地区やスラム街の上海が取り上げられなくなる「選択性記憶(選択的記憶)」の2点から構成されている。

上海におけるノスタルジアは改革開放とグローバリゼーションの中での歴史の振り返りと自己アイデンティティの確認として広がっている。現代の都市の消費空間のノスタルジアは景観化と浪漫化により再構築されているが、それは心の慰めや感情的な支えになる一方で、特定の歴史的・文化的要素を取り出し歴史の複雑さや多元性を無視しているという批判も存在する。現代のノスタルジア創造の実践は、歴史を尊重し現実的ニーズ、将来の発展性に注意を払うことで、過去と現在、個人と集団の間を架橋し、現代人の生活にさらなる価値とインスピレーションをもたらすものとなるだろう。

ディスカッション

菅豊先生のコメント

菅先生は、現在の上海ノスタルジアが志向するかつての生活様式について1996年頃の滞在経験から補足しつつ、鄭先生と徐先生へのコメントを示した。両先生の発表に共通する要素として、ノスタルジアが各主体により能動的に生成されており、世界遺産で掲げられるような真正性や完全性を必要としないこと、その結果として取捨選択、変形、デフォルメ、移植といった行為が、これもまた多様な人や政策によって行われる「過去のキメラ化(あるいは中国風に「過去の四不像化」)」が起きていると指摘した。

その上で、①日本と比較した時の公共部門の統制力や専門家の影響力の大きさと主体の問題、②パブリックヒストリーと共通の課題でもある、過去の公共的娯楽化に伴う真実性からの逸脱という「過去のディズニー化」の問題、③文化の商業化により多面的な視点が失われる過度な商業主義への対応の問題、④歴史の共同所有と権力関係、すなわちノスタルジアの「所有権」のあり方の問題、⑤都市/農村や伝統/非伝統という構図によるノスタルジアの違い、⑥過去の振り返りであるRetrospectiveから未来を展望して積極的にノスタルジアを活用するProspectiveへの姿勢の転換といった論点を提示した。

これに対して、徐先生は田子坊地区および1192弄老上海風情街を、鄭先生は農民画や故事滙を例に挙げ、住民、芸術家、大学、民間企業、地元政府などの多様な主体の関与のしかたについて解説した。また、文化の消費や娯楽化の問題について、徐先生は営利を追求する民間企業と教育を担う政府の役割の違いと両者の協力の難しさを、鄭先生は娯楽としての人を引き付ける面白さの必要性と教育的内容との両立に対する期待をそれぞれ語った。

フロアからは、中国の現代ドラマにはモダンな建物や宇宙開発の研究者といった未来志向の物事は出てくるが、若い人々に実際に過去への憧れはあるのかという質問が出た。これに対して徐先生からは漢服ブームのような若者主導の動きがあること、鄭先生からは政府のサポートに頼っていた曲芸を勉強し運営する若い人が現れ始めたことなど、単なる好奇心ではない過去への感情に基づく事例の提示があった。

最後には菅先生から、かつての死に至る病としてのノスタルジアから消費の対象となる軽いノスタルジアへの変化と、それぞれ感傷と好奇心に基づくこれらを同じ「ノスタルジア」と称してよいのかという疑問が提起された。これに対して司会の松田先生は、絶対に戻れない過去への重いノスタルジアから利用できるスタイルへの関心に基づくノスタルジアに変化していると同意した上で、今後もますます多様な主体が参加してくることが現代社会におけるノスタルジアの一側面ではないかと返答した。

ディスカッションを交わす登壇者

まとめ

今回の研究会では、開港以降に大きな変化を経た都市である上海に多様な立場からの歴史と記憶が存在すること、それを現代社会で利用し活性化させる方法として、芸術作品の制作や住民参加による継承活動、商業施設における空間の再現など多様なアプローチが試みられていることが明らかにされた。これらを日本と比較すると、クローズドの研究会でも指摘されたように、ノスタルジアの創造に対する抵抗感の薄さ、その過程への行政や専門家の積極的な関与といった特徴が導き出せるだろう。

ただし東京の場合でも、長屋や路地、昔ながらの商店街といった下町の生活空間が、エクスカーションで訪れた谷根千のような観光地化、テーマパーク、ショッピングモールなどの商業施設における再現の対象となり、実際にはノスタルジアの創造が活発に行われている。ここから導き出せるのは、ノスタルジアの創造に対する漠然とした抵抗感の背後にある、作為の主体を想定することに対する抵抗感ではないだろうか。そしてそれゆえに、日本ではむしろ主体やその方針、さらには責任の所在が曖昧なままにノスタルジアの創造が進められている、とも言えるかもしれない。

研究会の最後で菅先生と松田先生が言及したように、ノスタルジアの対象となる時代が遠ざかるにつれ、その利用主体と方法がますます多様化してゆくことは想像に難くない。過去の歴史や記憶をある種の文化的資源と見なすのであれば、無自覚なノスタルジアの創造はマネジメントの不在でもあり、クローズドの研究会で指摘された「ノスタルジアが擦り切れてゆく」ことに帰結する可能性も否定できない。表象や消費というノスタルジアの創造行為に内在する作為性を自覚した上で、その対象となる文化や地域、そしてより広い社会一般に肯定的な影響をもたらす活動や施策を推進すること、その過程に行政や専門家が能動的に関与しつつ言語化と知見の共有を図ることは、過去に対するノスタルジアと未来志向で付き合う方法として検討に値するのではないだろうか。

(執筆:強谷幸平[人文社会系研究科 博士課程・特任研究員])