日本占領期の性─米兵の残した文学作品から
- 日時:2019年4月26日(金)17:00 - 19:00
- 場所:東京大学 伊藤国際学術研究センター3階 中教室(入場無料 事前登録不要)
- 報告者:岡田泰平(総合文化研究科・准教授)
本セミナーにおいては、おおむね1950年代に公表されたアメリカ文学における日本占領期を対象とした作品を読み解くことにより、占領と性の問題を探求したい。その多くは、いわゆるパルプ・フィクション(低俗な大衆小説)であり、男性読者を対象としたものである。また作品内の性関係は、ほぼ例外なく異性間で生じている。第一の関心は、文学作品における描き方の連続性に係る問題である。日本人、他のアジア系、白人の女性の表象は、極めて類型的に描かれており、それぞれの類型がどの文学作品から始まり、その後どのように展開していったのかという系譜を辿りたい。とりわけ発話により自らの意思を示すという主体性が、どの作品でどのように日本人女性に付与されていったのか、について言及したい。
第二には、第一の関心の延長として、ごく一部の例外を除いて男性によって書かれ男性によって読まれるこれら文学作品の中での、性暴力の正当化の問題に注目したい。すでに先行研究によって、占領下においては様々な性関係があり、なおかつそれら性関係が占領軍によって多様な介入を受けてきたことが明らかにされている。そこでは、どのような性関係が暴力的であるのかという問いが考察されているのだが、何が暴力的であるのかという問いと、何が正当化されうるのかという問いは互いに入り組んだ関係を持っており、この入り組んだ関係を前提として考察する。また1950年代~60年代にかけては、白人男性とアジア系女性の結婚が、アメリカ本土において許容されていく時期と重なるが、このようなより大きな歴史的背景の中での表象の変遷にも注目したい。
そして第三には、日本軍によるフィリピン占領下の性関係を対象とした文学作品と対比させることにより、異なる軍と異なる場の事例から、占領と性の関係についてより一般的な考察を行いたい。前回のセミナーでは、フィリピン・セブ島での性暴力を裁判記録や軍関係の文書から論じたが、当該の状況については文学作品も発表されてきた。それら文学作品の一部と、上述のアメリカ文学作品を比較し、共通する点と違いを明らかにしたい。その上で、性をめぐる文学上の表象の探究が、歴史上の性暴力の認識に対してどのような貢献をなしうるのかを、論じてみたい。