オープンセミナー

国際金融協調と国際安全保障:1920年代日本の経験から

概要

本セミナーでは、なぜ国際社会の平和が安定しないか、という問題の一端を、歴史的事象を基にしながら検討する。 

今日なお、自国民生命・身体・財産保護や自国権益保護を理由とする、他国領域内での軍事力の行使がみられる。それが軍事衝突や戦争に至る危険性のあることは周知の事実であるが、この正当化理由をなぜ私たちは未だに完全に放棄解消できないでいるのか?

その一因は、私たちの国際経済・金融を把握する際の認識枠組みにあるのではないか。経済社会を国民国家単位で把握するために、経済関係が国対国の関係(競争・敵対)として把握されてしまうのではないか。経済関係が国際化して、ある国の領域に様々な国の国民やその財産が所在し経済活動が国際的に営まれるようになると、経済的な緊張が国家間対立として把握されるばかりか、その領域内での自国民保護・自国権益保護のための実力行使の可能性も増すことになる。

経済をグローバル化するならば、国際社会の安定的な平和のためには、経済社会を国対国の関係として把握するのではない、それ以外の認識枠組みが必要である。では、その別の認識枠組みとはどのようなものか?

本セミナーでは、1920年代の日本の経験を取り上げる。1920年代(戦間期)は、国際協調の時代といわれるものの、1930年代に生ずる満州事変やそれ以降の軍事衝突や国内テロ・暗殺に至る社会環境を醸成した。そこでの国際協調の考えに限界・問題があったのではないか? 国際経済・金融における協調について、別の考え方はありはしないか? 1920年代日本に見られるいくつかの経済観を比較することで、この問題を検討する。特に、国際金融家の井上準之助に焦点を当てる。

井上は国際金融秩序の基礎としての金本位制の意義を強調し、日本でも金本位制復帰(金輸出解禁)を実現した。また彼は、その実現準備過程で、日本経済、金融、さらには社会一般の「病理」を考察した。そうした彼の思考から、従来あまり明確にされてこなかった国際協調の特殊なヴァージョンを抽出することができる。それは国際的に通約可能な「信用」を基礎とした経済社会を国内・国際的に実現するために各主体が協力することを意味する。

以上の検討を通じて、グローバル経済社会における安定的な平和という観点からは、国際安全保障は国際経済・金融協調と密接不可分の関係にあり、経済合理的「信用」によって成り立つ国内社会・国際社会の実現によって、経済関係を国家間関係として把握する見方から解放されることが必要である、という点を指摘する。最後に、そうした考え方の下での、国家政府の役割、そうした社会の実現の方途(困難さ)について今後の検討課題を指摘する。