第36回

「太郎が花子を裸で描いた」: 裸なのは誰?

  • 日時:2021年5月14日(金)17:30 - 19:30
  • 場所:Zoomオンライン開催
  • 報告者:中澤 恒子(東京大学大学院総合文化研究科教授)
  • 申込み:5月12日(水)締切で、下記の様式でお申込みください。
  • 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター

言語には主語が表現されない構文が多数ある。一般的に、日本語の主語は文脈から明らかな時にしばしば省略される。しかし標題の表現では、裸なのが誰なのか文脈から明らかでも明らかでなくても、その主語を明示的に表現することはできない。たとえば花子が裸だとしても「太郎が花子を花子が裸で描いた」は文として成立しない。つまり「裸で」の主語は単に省略されているのではなく、構文的に文の一部を構成することはない。

標題の「裸で」は「描写述語」と呼ばれ、描かれた「花子」が裸だと解釈できるが、描いた「太郎」が裸だとも解釈できることにお気づきだろうか。ほかにも、状態変化の結果を表すとされる「結果述語」も明示的な主語を伴わない。たとえば「警官が泥棒をボロボロにやっつけた」では、「泥棒」がやっつけられて「ボロボロ」になったと言っているが、こちらはやっつけた「警官」が疲れてボロボロになったとの解釈はない。

私たち日本語話者は、このように明示的に表現されない述語の主語をどのように理解しているのだろうか。この報告では、母語話者の文理解のメカニズム解明にどのようにアプローチするかという言語学的手法を紹介しながら、「描写述語」や「結果述語」などの明示的に表現されない主語がどのように解釈されているかという法則性を考える。