オープンセミナー

関東大震災と東大医学部第二外科

  • 日時:2022年3月11日(金)17:30-19:30
  • 場所:Zoomオンライン開催
  • 報告者:
    • 鈴木 晃仁(東京大学大学院人文社会系研究科死生学・教授)
      「関東大震災の外科カルテ:患者と医師とドイツ語カルテ」
    • 鈴木 淳(東京大学大学院人文社会系研究科日本史学・教授)
      「震災負傷者救護の展開と東京帝国大学附属医院の役割」
  • 申込:3月9日(水)締切で、下記の様式でお申し込みください。
  • 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター

日本は世界有数の地震大国である。一年に約 5,000回の地震がおき、人々は一週間に一回くらいの頻度で地震を経験し、数年から数十年に一度は非常に強い地震が起きている。そのような地震の中でも、現在の日本の記憶に色濃く残っているのは、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災と、2011年3月11日に起きた東日本大震災などであり、これらの大地震とそれが残した深い傷をめぐる複雑な思いとともに、多くの日本人は生きている。

1923年に起きた関東大震災も、それらと同じような大震災であった。死者数の点だけで言えば10万人を超え、阪神や東日本の大震災を超えていた。そして、関東大震災の被害は、その年代の東京にふさわしい特徴を持っていた。東京が急速に近代都市になる変化、朝鮮人・中国人への敵意と虐殺にあらわれた人々のゆがみ、これらの問題については、すでに多くの優れた書物があらわれている。

これまであまり研究されていないのは、関東大震災で負傷した非常に多くの人々が、どのような医療を受けたのかという問題である。もちろん軍隊や日本赤十字社などが、濃尾地震(1891) や明治三陸地震(1896)で活躍したように、関東大震災でも活躍したことは知られている。しかし、東京帝国大学医学部も、関東大震災の医療に参加しており、その記録がカルテの形で残されていることはあまり知られていない。

このたび、東京大学医学部の健康と医学の博物館、同医学部附属病院旧第二外科学教室(現 肝胆膵外科、心臓外科、呼吸器外科)のご協力を得て、その時期のカルテなどの一部を読むことができた。このカルテは患者の被災時の語りを医師が記録した患者自身の震災の経験や、ほとんどがドイツ語で書かれた医師の観察などが記された豊かな史料である。この史料を読んで、大震災、東京、医師、患者、カルテ、ドイツ語などの重層的な問題に取り組みたい。