オープンセミナー

忘れられた美術思想家・岩村透への光──比較文学比較文化研究の視座から語る

  • 日時:2022年3月18日(金)17:30 - 19:30
  • 場所:Zoomオンライン開催
  • 報告者:今橋 映子(東京大学大学院総合文化研究科・教授)
  • 申込:3月16日(水)締切で、下記の様式でお申込みください。
  • 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター

書店で素敵な装幀の本を手に取ったり、ふと休日に美術館に展覧会を見に行ってカフェでのんびりしたり、旅先でその地方の代表的な工芸品を買ってみたり、あるいは江戸時代の遺構がそのまま活かされた庭園を散策したり──と、私たちの日常にいまや自然に溶け込んでいるこのような楽しみや習慣が、たかだか百年に満たない先人たちの努力によって醸成されたものであると知ったら、どのように感じるでしょうか。

今回ご紹介する岩村透(1870-1917)は、明治大正期に生きた東京美術学校教授。彼は美術批評家、西洋美術史家、美術ジャーナリスト、美術行政家・・・という実に多彩な顔と実績をもちながら、糖尿病のために48歳で早逝し、いまやほとんど忘れ去られている人物です。私は彼の仕事の幅と深さ、その人柄そのものにも惹かれて30年以上調査を続け、10年間の執筆期間を経て、ようやく昨年5月、千頁に及ぶ研究書を上梓しました(今橋映子『近代日本の美術思想──美術批評家・岩村透とその時代』白水社、上下巻、2021年)。

岩村の美術思想は何よりも、「国家百年の計」ならぬ「美術百年の志」を持ったことにその根源を持ちます。1900年前後の東京には、(過去の遺物を展示する博物館ではなく)制作家たちが毎年の新作を展示し海外の最新潮流を知る「美術館」は一つもなく、インディペンデントな活動ができる「画廊」も一つもなく、美術家たちが寄り集まって語り合うカフェさえ一軒もありませんでした。海外の美術情報を簡単に手に入れる雑誌媒体はなく、ましてや西洋画や西洋彫刻を見る機会もなく、そして裸体画や裸体彫刻はすぐに官憲の目に止まって規制を受けたのです。そもそも「画家」や「彫刻家」、「建築家」の地位さえ社会の中で、ろくに定まっていなかった時代です。「無い無い尽くし」のアジアの新興都市にあって、岩村たちは「美術百年の計」を立てる。その心には自由民権運動の志士のごとき「志」があったことでしょう。岩村は『巴里之美術学生』(1902)という本を書いて若者たちをパリに誘う一方、〈美術〉概念を絵画や彫刻のみにとどめず、驚くことに、建築や装飾芸術から人形、絵葉書などに至るまで押し広げていきます。岩村透は、日本人の「生活と美術」を深い所で結びつけようと奮闘したという意味で、「日本のウィリアム・モリス」とも呼べるかもしれません。

今回のセミナーでは、実は森鷗外や黒田清輝の真の友人であり、彼らと共に活動した岩村透を改めてご紹介すると共に、こうした私の30年近い研究が、比較文学比較文化研究のどういった学術的理論に支えられていたかもご説明します。現在私は、ヒューマニティーズセンターの御助力を得て、日本における比較文学比較文化の教育が大学、大学院でいかに展開されているかを総合的に調査中です。すでに150年以上にわたる比較文学比較文化という学問世界で醸成された様々な概念や方法が、私の岩村研究にどのように流れ込んでいるか、文学芸術研究の「現場」に、広く多くの方にも触れて頂ければ幸いです。