詩と政治──ヴァレリーとブランショをめぐって
- 日時:2024年5月8日(水)18:00 - 20:00(日本時間)
- 開催形式:Zoomオンライン開催
- 使用言語:日本語
- 司会:齋藤希史(東京大学大学院人文社会系研究科)
- 登壇者:
- 山田広昭(東京大学名誉教授)
- 郷原佳以(東京大学大学院総合文化研究科)
- 塚本昌則(東京大学大学院人文社会系研究科)
- 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)
- 申込(参加無料・要登録):
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZYrdOiopjwuHtEXdT7GLXrVHsjwThUynKSo
概要
フランスの詩人ポール・ヴァレリー(1871-1945)は、ドイツ占領下のパリで、詩について講義をしつづけた。詩を作るとき、詩人の精神のなかで何が起こるのか、そして読者が詩を読むとき、読者の精神のなかでは何が起こるのか。こうした問いをめぐって、誰でも聴講可能な高等教育機関コレージュ・ド・フランスでヴァレリーが行った一連の講義は、一見同時代の社会とは無関係な、人間精神の営みに関する純粋な思索を展開したものであるように見える。しかし、政治を批判することが許されない状況で、詩を作るという行為、さらに詩が精神にあたえる影響を考察することは、はたして状況とまったく無関係な営為なのだろうか。
昨年フランスで出版されたヴァレリーのコレージュ・ド・フランスでの講義録『詩学講義(1937-1945)』は、詩について語ることが、同時代の政治状況とどのような関係を持ちえるのかを考えさせる。今回のセミナーでは、はじめに『詩学講義』がどのような本であるのかを塚本が紹介し、詩について語ることと、政治、さらには文明について語ることが切り離せない、ヴァレリーという作家の特質について論じる。
ついで山田広昭氏が、文学と政治との関係が問われるようになった20世紀という時代について論じる。マルクス主義、そして二つの世界大戦は、作家たちに次の問いを突きつけた。文学には、他の領域に還元されない独自の価値があるのか、さらにいえば、文学は世界そのもの対峙しえる存在なのか。マルクス主義と戦争という巨大な敵手を前にして、作家たちはどのように反応したのだろうか。
最後に、郷原佳以氏が、モーリス・ブランショ(1907-2003)が、ヴァレリーの詩と政治をめぐる態度をどのように受けとめたかを論じる。『詩学講義』につづいて、フランスでは、文学とは何かをめぐる議論が激しくなされた。サルトル『文学とは何か』(1948)、バルト『エクリチュールのゼロ度』(1953)、メルロ=ポンティ『言語の文学的使用法』(1953)、ブランショ『文学空間』(1955)──この一連の試みのなかでも、ブランショはヴァレリーを長期にわたって注視し、根源的な批判を展開したことで際立った存在となっている。ブランショがヴァレリーをどのように読んだかを知ることは、文学とは何かという問いをめぐって戦後なされた一連の試みを考えるうえでも、大きなヒントとなるだろう。
お二人の発表の後、登壇者間でディスカッションを行う。参加者からも、積極的な質問、コメントを期待する。
関連書籍
Paul Valéry, Cours de poétique, I : Le corps et l'esprit (1937-1940) ; II : Le langage, la société, l'histoire (1940-1945), Édition de William Marx, Gallimard, 2023