空虚な廃墟の系譜と創造
- 日時:3月27日(金)10:00 - 12:00
- 開催形式:Zoomオンライン開催
- 登録先(セミナー中でも登録可能):https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/0sOjryE8QQiQ38CetNpV0w
- 講師
- 高橋勇(慶応義塾大学文学部)
- アルヴィ宮本なほ子(東京大学大学院総合文化研究科)
- 司会・ディスカッサント:池田景子(摂南大学国際学部)
- 言語:日本語
- 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター
概要
第2回のオープンセミナーでは、18世紀後半から19世紀前半の中東の廃墟を主に扱います。今回は講師2名が「空虚な廃墟」と「崇高(sublime)」という美的概念に入らないかもしれない「廃墟」について考察します。
高橋勇
ユダヤ教・キリスト教において「イェルサレム第二神殿」の攻囲と崩落は「神からの懲罰」と捉えられ後世に伝えられた。この伝統においては廃墟は「なくなる」ことこそが重要であったのである。近世以降のプロテスタント文化の中でこれは、Miltonに顕著に見られるように、カトリシズムに対抗するための「戒め」として使われた。しかし18世紀の考古学の発展によって「過去の世界の破滅」、つまり聖書に記される歴史「以前」の存在が顕在化し、失われた廃墟のイメジャリーは複層性をましてゆく。この展開をByronのCainの中で確認してみたい。
アルヴィ宮本なほ子
Percy Bysshe Shelleyの"Ozymandias"は、中東の廃墟を題材としたイギリス・ロマン派文学の代表作の一つであるが、この詩で描かれる「廃墟」は、大都市や壮麗な大建築ではなく、巨大な石像の断片にすぎない。この石像の残骸は、ローマの廃墟(やイギリスの廃墟)から想起される「廃墟」のイメージとは異なり、「崇高」という美的カテゴリーから逸脱するのではないか。さらに、この石像の崩れた顔に残る表情は、人間の感情や権力意志の「廃墟」を巨大な石の残骸へと彫琢しているのではないか。以上の問いを軸に、本発表では、Shelleyの"Ozymandias," Horace Smithの"Ozymandias," George Gordon Byronのケオプス王(クフ王)のピラミッドの描写を中心に考察する。
参考文献
- 木下華子、山本聡美、渡邉裕美子編『廃墟の文化史』(勉誠社、 2024)
- 谷川渥『形象と時間 : 美的時間論序説』(講談社、1998)
- 谷川渥編『廃墟大全』(中央公論新社、2003)
- Leask, Nigel. British Romantic Writers and the East: Anxieties of Empire(Cambridge University Press, 1992)
- Curiosity and the Aesthetics of Travel Writing, 1770-1840 : 'from an Antique Land.' (Oxford University Press, 2002)
- Stewart, Susan. The Ruins Lesson: Meaning and Material in Western Culture. (The University of Chicago Press, 2020)


