関東大震災と東大医学部第二外科 II
- 日時:2022年9月23日(金)17:30 - 19:30
- 場所:Zoomオンライン開催
- 報告者:
- 赤川 学(東京大学大学院人文社会系研究科 教授)「東大医学部塩田外科「当直日誌」(1923) を読む」
- 鈴木 晃仁(東京大学大学院人文社会系研究科 教授)「関東大震災と東大第二外科の患者たち」
- 質疑応答
- 中尾 麻伊香(広島大学 准教授)
- 高林 陽展(立教大学 准教授)
- 使用言語:日本語
- 主催:東京大学ヒューマニティーズセンター
- 申込:https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZ0oduGqqDstEtwD7lQoW6YQ8vUHlKOrkPJW
概要:
1923年に起きた関東大震災は、10万人前後の非常に多くの死者を出し、世界史上最大級の死亡を出したことがよく知られている。それと同時に、負傷者についても、建物の倒壊や大火災による火傷などが原因となって数多くの事例が現れた。そのような関東大震災の負傷者に対応するために、日本各地の多くの医学校の医療チームなどが全国から被害地に駆けつけて、負傷者の医療にかかわっていた。大災害は圧倒的な威力で東京や神奈川を破壊したが、それと同時に負傷者に対する医療も存在していた。
東京帝国大学医学部も東京の負傷者の医療の一つの中心部であった。その活動に関して、附属病院第二外科学教室の外科医たちがつけていた日誌や、診療された患者たちの病歴が数多く存在し現在まで保存されている。その貴重な史料を、東京大学医学部の「健康と医学の博物館」と同旧第二外科学教室(現 肝胆膵外科、心臓外科、呼吸器外科)のご協力を得て分析を始めることができた。今年の3月に行われた中間報告の講演会では、鈴木淳と鈴木晃仁が2つの報告をして、多くのコメントを頂くことができた。
9月の最終報告では、3月の中間報告と少し異なった方法で史料を読んだ作業の結果としての二つの報告が行われる。主題は、医師と患者である。赤川学の報告は、東大病院の第二外科が経験した、震災直後から2か月ほどの間に、大混乱や病院からの火災に始まり、内部での対立などを経て、通常の治療に戻っていく構造は、外科医たちの仕事がどのようなものだったかを教えてくれる。鈴木晃仁の報告は、50人を超える患者たちのカルテの冒頭に、彼ら・彼女らが経験した大震災直後の東京の姿を教えてくれるさまざまな小さなドラマが描きこまれていることに着目し、東京の各地域における地獄のような大惨事を背景に、家族の間の愛情や共同体の中での助け合いがある一方、朝鮮人と誤解された患者が受けた露骨な暴力などの事例に注目している。医師と患者が作り上げた関東大震災の姿を描くことが一つの目標である。
後記
「概要」に示された赤川先生・鈴木先生両名のご発表ののち,中尾麻伊香先生・高林陽展先生からのご質問が行われました。
中尾先生は, 関東大震災と原爆被災の共通点と連続性という観点から質疑をされ,被災した第二外科の活動を災害医療として位置付けることができるのかという点や,「塩田外科」の後継者となった都築正男の原爆被災に際した言動から,東大医師の特権性や,患者を治療対象と同時に研究対象として見る(見ざるを得ない)医学者という構造などについての指摘がなされました。
高林先生は,史料としてカルテを選択することの意味に着目され,カルテに記録された患者のエピソードは,皇后の訪問に際して調査・収集されたものである以上,それに相応しいものが取り上げられた可能性などについて指摘され,カルテは単に治療・診断の記録であるだけでなく,社会的・文化的な枠組みが反映されていることを意識する必要がある,という指摘がなされました。
その他,フロアからも質問が出て,活発な議論が行われました。(ヒューマニティーズセンター特任助教 水野博太)
【参考文献】
- 鈴木晃仁・鈴木淳『関東大震災と東大医学部第二外科 東京大学ヒューマニティーズセンター オープンセミナー第57回より』(東京大学ヒューマニティーズセンター,2022)
- 泰山弘道『完全版 長崎原爆の記録』(東京図書出版会,2007)
- 金澤周作「一九世紀における物乞いの痛み」(伊東剛史・後藤はる美編『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会,2017)所収)